雑多的日常観察日記

魚が好きな看護師、”サカナース”のブログです。

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一人称が"僕"なのか"俺"なのかはっきりして欲しい

 

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こんにちは、僕です。びーえむです。

 

皆さんネットや文章上での一人称ってどうしてます?

 

現実での一人称をそのまま使うタイプ?

それとも現実とネットで使い分けるタイプ?

 

俺はよくどっちを使えばいいかわからなくなる。

今回の記事を通してこのブログでは"俺"なのか"僕"なのかはっきりしたいと思う。

 

 

 

 

そもそも"僕"、"俺"はどういった場面で使うのが適切なのか

現実での会話の場合

現実で人と会話するとき、僕と俺を使い分けることは当然ある。

社会において一人称の使い方はその場次第で変える必要があるからだ。(変える必要の無い人もいるけど)

 

取引先や上司に向かって「俺は〜!」と名乗りをあげるように"俺"を使う人間は少ないと思う。そんな風に上司に名乗りを上げるのはサラリーマン金太郎美味しんぼ山岡士郎くらいだ。

当然この場合は"僕"、もしくは"私"などとすることが多いだろう。

 

たまに現実でも"自分は〜"と一人称が"自分"の人間がいるが、どうしても「自分、不器用ですから…」と高倉健のセリフが頭をよぎってしばらく離れなくなるので、出来たら控えて欲しいのが本音である。

 

しかし気の知れた友人同士なら「俺はさ〜」と言ったように自然と"俺"を選択する。なぜなら幼少時から俺は"俺"とともに生きてきたからだ。

 

なので現実の会話では

  1. 目上の人間に接するときや、フォーマルな場では"僕"で通す
  2. 友人や同世代の人間には"俺"で通す

 

この二つのシンプルなルールで生きている。

 

では文章ではどうだろうか。

 

ブログやネット上の文章の場合

このブログでは普段"僕"で通すことが多いですよね。

結論から言うと読まれるために書いているので必然的に"僕"になるだと思うんです。

 

当ブログは好きなことだけ書いている雑記ブログなので、収益が〜!とかSEOが〜!と血眼になってやっているわけではありません。

完全に趣味ブログです。

 

でも紹介した商品は購入して欲しいし、アドセンスドメイン代やはてなpro代くらいは賄いたーい!とあま〜いことを考えてるのも本音です。

 

なのでセールストークってわけではないですけど、出来るだけ丁寧な口調になることが多いですね。

 

ここで僕が愛してやまない、かんそうさんのブログの記事を紹介しておきます。

www.kansou-blog.jp

 

今回の記事とは趣旨が違いますが、かんそうさんは一人称を"俺"で通しています。

 

この文体で自身のことを”俺”で通すことにより、かんそうさんの人柄が想像出来るので面白さに拍車をかけています。

 

時として言葉は

何を言ったかよりも誰が言ったかが重要になることが多々あります。

 

ではネットなどの文章で本名を隠した状態で誰が言ったか?を構成するものとは何でしょうか。

 

そうです。一人称と文体です。

つまり一人称と文章全体の雰囲気から、読者は著者の人となりを想像するのです。

なので一人称と文体の関係ってめちゃくちゃ大事だということがわかりますね!

 

ちなみに"俺"も"おれ"とひらがなで書くことで、この人はもしかしてジャイアンじゃないのか?と読者を混乱させる恐れがあるので注意していきたいですね。

 

脱線しましたがまとめると

  1. 商品紹介や人に寄り添うような記事はですます調で一人称は"僕"を使う。冷静に俯瞰して物事を考える記事では〜だ、〜である調で"僕"を選択することもある。
  2. 自分の想いを赤裸々に出したり、友だちに話すような文体で書くときは"俺"を使う。文体はなんでもいい。

 

以上が僕の文章における自分ルールです。

万能一人称"私"

ここで"私"という第三の選択肢について触れておきたい。

私は生まれてこのかた、私を私と呼んだことなど一度もない。今言ってしまったが。

 

個人的に一人称が"私"であると"僕"よりも知的ランクが一段階アップするように感じるのだ。

というより壮年〜老年期の人間の文章になってしまう気がする。

 

論文執筆の際は男女関係なく一人称は"私"だ。

"私"という一人称はジェンダーな要素が入り込まない極めて中立的な立場にあることがわかる。

私もいつか公に自分のことを"私"と胸を張って言える人間になりたいものである。

 

結局は文体に左右されるのか

ここまで読んで気づいた方がほとんどだろうが、僕は文体に左右されて一人称を決めている。

さながら多重人格者のようだ。

 

けれど、文章という文字の羅列に"僕"や"俺"と言った一人称を加えることで、ぼんやりとした文に輪郭を与えるような気がするのだ。

この文章を書いた人間はどういった人間なのか。どういうつもりでこんな文章を書いているのか。理解の道筋を与えるのが一人称というものだと思う。

 

わかりにくい説明になってしまったかも知れないが、更にわかりにくく説明しよう。

 

文章を書いているときは"僕"の気持ちで書くこともあれば、"俺"の気持ちで書くこともある。

つまり僕の中の承認欲求は"僕"を認めて欲しいときもあるし"俺"を認めて欲しいときもあるということだ。

 

文体がコロコロ変わるのは僕の中の想いを出来るだけ正確に伝えたいからだ。

 

それでも全ては"僕"であり、"俺"であり、このブログではびーえむというひとりの人格だ。

 

なのでこのブログは記事毎に文体と一人称が変わる変なブログになる予定だ。

 

僕は人から「お前は自分というものが無い」と言われたことがあったが、明確な自分が無いことがこのブログの特徴になる。

 

そんな気がするのだ。

 

 

おわりに

それでねー。びーえむはねー。ぶんしょうをこれからもいっぱいかくの!

たくさんのひとにたくさんよんでほしいの!

 

こりずにまたこのぶろぐにあそびにきてほしいの!

 

またおあいしましょうなの!

 

 

 

 

 

 

 

 

この文体で書くことは二度とない。